乳幼児教育への想い

大阪誠昭会設立の想い

小学校教諭時代の母が、
目の当たりにした現実

前理事長である私の母は小学校教諭として、子どもたちと共に8年間を過ごしました。その期間に、教育現場の現実をまざまざと見せつけられたのです。子どもたちは、“無感動、無意欲で、常に指示を待っているだけ”。保護者は、“過保護、過干渉で、全体を見ることができず、わが子だけを重視している”。この現実と向き合い、子どもたちと関わり、保護者と懇談を重ねていく中で、「教育の原点は幼児教育にあるのではないか」という想いを次第に強くしていったのです。

小学校教諭時代の母

幼児教育に一生を捧げる決意で
1976年 幼稚園設立

子どもたちの「なんでもやってみたい!」という意欲的な気持ちを育むには、どのような小さな変化も見逃さず、ひとりひとりの成長を認め、受け止めていく繊細な姿勢が必要なのではないか。この母の想いを具体的に実行する場として、1976年(昭和51年)学校法人・幼稚園を設立したのです。母の純粋な幼児教育への想いに賛同した父は、サラリーマン生活に終止符を打ち、夫婦共に幼児教育に一生を捧げる決意をしたのです。
ちょうどそれは、私が小学校に入学する時のことでした。

幼稚園設立10周年の頃

試行錯誤をかさねて、
輝きはじめた子どもたちの目

熱意をもって幼稚園を設立したとはいうものの、開園当初は試行錯誤の連続だったようです。すでに幼児期から“無感動、無意欲”の子どもが多数いたようですが、2年、3年と教育に取り組むうち、変化が表れはじめました。自分を認めてもらえるうれしさを知った子どもたちは、目をいきいきと輝かせ、子ども本来の意欲的な姿を見せるようになったのです。「自分たちの想いが子どもに通じた。わたしたちはまちがっていなかった。」そう実感できた感動的なできごとだったと父母は語ってくれました。

幼稚園作品展「パノラマ」

働く女性と、
その家族をサポートするために

80年代に入ると、徐々に女性の社会進出が一般化し、保育園という施設の重要性がクローズアップされるようになりました。これからは働く女性や、その家族のサポートこそわたしたちの使命ではないだろうか。働きながら子育ての喜びと楽しさを知ってもらい、幼稚園と同等の教育を保育園でおこなうことはできないだろうか。幼稚園と保育園には、行政管轄のちがいしかありません。だからこそ父母は、時代の変化に応じた、もっと社会的責任の果たせる保育園という教育形態を検討したのです。

幼稚園「お店やさんごっこ」

乳幼児保育の向上をめざして
1982年「寝屋保育園」開園

仕事をもっているため子どもを十分に看ることができない、いわゆる「保育に欠ける」という家庭が増える中、そうした家庭を支え、子どもたちに愛情と教育を与えていきたい。さらに、乳児期から幼児期への一貫した質の高い教育が行えるのではないか、という想いから父母は、1982年(昭和57年)に「寝屋保育園」を開園しました。それは私が中学校に入学する時のことです。そして現在、保護者をはじめ地域の皆さまのご理解とご協力のもと、開園からすでに30数年が経過しました。

「寝屋保育園」開園当時